どもです、MW岩井です。映画『アイルトン・セナ~音速の彼方へ』を観てきました。
彼を知らない人のために簡単に説明させていただきますと、彼は1984年にF-1パイロットとしてデビューし、1994年のレース中に事故死するまで、F1世界チャンピオンに三度輝いたという実績の持ち主です。
あまりF-1に詳しくない人からすると、「現役だった10年間で3度のチャンピオンって、そんなに多くないのでは?」と思われてしまうこともあるかもしれませんが、F-1はモータースポーツです。いかに、パイロットが天才的な運転技術を持っていたとしても、マシンが他チームに劣っていると勝てません。そういう意味では、"勝てるマシンに乗っていた"1988~1991年の4年間のうち3年間は優勝し、残りの1年も(速すぎた新人だったため)チームメイトやメカニック、大会委員会などから嫌がらせに遭い、体当たりされてリタイアに追い込まれるなどのトラブルがなければ優勝していたと僕は信じています。
彼を知らない人のために簡単に説明させていただきますと、彼は1984年にF-1パイロットとしてデビューし、1994年のレース中に事故死するまで、F1世界チャンピオンに三度輝いたという実績の持ち主です。
あまりF-1に詳しくない人からすると、「現役だった10年間で3度のチャンピオンって、そんなに多くないのでは?」と思われてしまうこともあるかもしれませんが、F-1はモータースポーツです。いかに、パイロットが天才的な運転技術を持っていたとしても、マシンが他チームに劣っていると勝てません。そういう意味では、"勝てるマシンに乗っていた"1988~1991年の4年間のうち3年間は優勝し、残りの1年も(速すぎた新人だったため)チームメイトやメカニック、大会委員会などから嫌がらせに遭い、体当たりされてリタイアに追い込まれるなどのトラブルがなければ優勝していたと僕は信じています。
結局、この映画はあくまでドキュメンタリー映画なので、彼のことを少しでも知っているか、若しくはF-1に興味がないと観る価値が半減してしまう映画です。
僕は18歳の時、1987年にコナミから発売されたMSX用レースゲーム『F1スピリット THE WAY TO FORMULA-1』の記事をMSX FANで作ることになったのをきっかけにF-1が大好きになり、日本自動車連盟が発行する国内B級ライセンスと国内A級ライセンスを取得した後、国際ラリー限定ライセンス(パリ=ダカールラリーにも出場できるライセンスです)まで取得するなど、(僕の人生の中では珍しかった数年間なのですが)ゲームよりもレースに熱中していた時期があって。
そのお陰で片っ端からF-1雑誌を買い、テレビ中継も欠かさず観る...という生活を続けているうち、メガドライブFANに掲載するセガのメガドライブ用ソフト『アイルトン・セナ スーパーモナコGP II』記事内に掲載するという交換条件でアイルトン・セナさんへのインタビューもさせていただくことができました。
それほどの思い入れがあったからこそ、なおさら彼が1994年に事故死した時にはその事実から目を背けたかったですし、当時は「亡くなった」という事実を聞いた以降、意識的に耳を閉ざすようにしていました。ですから、未だにどんな状況で亡くなったのか知らないまま映画を観ることになりましたが、見終えた時、1つのピリオドが打たれたような気がします。彼が亡くなってから16年が経った今、やっとスクリーンに向かって言えました。ぼろぼろ泣きながら。
「ありがとう。そして、さようなら」
スタッフロールの終盤。アイルトン・セナ財団の管理を、宿敵のアラン・プロストがやっているというエピソードが紹介された時、心のどこかにずっと引っかかっていた気持ちが、ようやく晴れた瞬間でした。..って.コレ、あんまりいいレビュー記事じゃないですね・苦笑
これは、劇場内のお土産コーナーで売っていた、セナが乗っていたマクラーレン・ホンダのF-1マシン1989年版(プラモデル)です。カーナンバーは1。これは、昨シーズンの年間ワールドチャンピオンが乗るマシン、という意味でもあります。
まるでドラマのようで、あまりにできすぎていた現実。「そんなん、嘘くさい」と言われるほどドラマチックにチャンピオンを手中に収めた1988年の日本GPで何が起こったかを知っている人ならば、このプラモデルを見る目も違うでしょう。
余談ですが、当時『F-1グランプリ速報』なんかを読みまくっていた僕だからこそ覚えていたようなトリビアを1つ。ゼッケン1のセナモデルはヘルメット後方の保護パッドがなく、ゼッケン2のアラン・プロストモデルにはあるという違いがあります。その理由は、セナは各コーナーごとに頭をそちらに傾けて走行するので、パッドは不要なのです。逆に、プロストはどんなコーナーでも頭は真っ直ぐで、目だけを動かしてコーナリングを行うため、逆にヘルメットが常に水平に保てるよう、頭を後方に押しつけながら走行しているため、パッドが必要だったのです。
そんなところまで気にしながら、今回の映画を観てみると、また違った楽しみが見えてくるかもしれません。僕もこの記事を書きながら思い出したネタなので、そんな辺りに注目しながらもう一度観たいと思っています・笑
僕は18歳の時、1987年にコナミから発売されたMSX用レースゲーム『F1スピリット THE WAY TO FORMULA-1』の記事をMSX FANで作ることになったのをきっかけにF-1が大好きになり、日本自動車連盟が発行する国内B級ライセンスと国内A級ライセンスを取得した後、国際ラリー限定ライセンス(パリ=ダカールラリーにも出場できるライセンスです)まで取得するなど、(僕の人生の中では珍しかった数年間なのですが)ゲームよりもレースに熱中していた時期があって。
そのお陰で片っ端からF-1雑誌を買い、テレビ中継も欠かさず観る...という生活を続けているうち、メガドライブFANに掲載するセガのメガドライブ用ソフト『アイルトン・セナ スーパーモナコGP II』記事内に掲載するという交換条件でアイルトン・セナさんへのインタビューもさせていただくことができました。
それほどの思い入れがあったからこそ、なおさら彼が1994年に事故死した時にはその事実から目を背けたかったですし、当時は「亡くなった」という事実を聞いた以降、意識的に耳を閉ざすようにしていました。ですから、未だにどんな状況で亡くなったのか知らないまま映画を観ることになりましたが、見終えた時、1つのピリオドが打たれたような気がします。彼が亡くなってから16年が経った今、やっとスクリーンに向かって言えました。ぼろぼろ泣きながら。
「ありがとう。そして、さようなら」
スタッフロールの終盤。アイルトン・セナ財団の管理を、宿敵のアラン・プロストがやっているというエピソードが紹介された時、心のどこかにずっと引っかかっていた気持ちが、ようやく晴れた瞬間でした。..って.コレ、あんまりいいレビュー記事じゃないですね・苦笑
これは、劇場内のお土産コーナーで売っていた、セナが乗っていたマクラーレン・ホンダのF-1マシン1989年版(プラモデル)です。カーナンバーは1。これは、昨シーズンの年間ワールドチャンピオンが乗るマシン、という意味でもあります。
まるでドラマのようで、あまりにできすぎていた現実。「そんなん、嘘くさい」と言われるほどドラマチックにチャンピオンを手中に収めた1988年の日本GPで何が起こったかを知っている人ならば、このプラモデルを見る目も違うでしょう。
余談ですが、当時『F-1グランプリ速報』なんかを読みまくっていた僕だからこそ覚えていたようなトリビアを1つ。ゼッケン1のセナモデルはヘルメット後方の保護パッドがなく、ゼッケン2のアラン・プロストモデルにはあるという違いがあります。その理由は、セナは各コーナーごとに頭をそちらに傾けて走行するので、パッドは不要なのです。逆に、プロストはどんなコーナーでも頭は真っ直ぐで、目だけを動かしてコーナリングを行うため、逆にヘルメットが常に水平に保てるよう、頭を後方に押しつけながら走行しているため、パッドが必要だったのです。
そんなところまで気にしながら、今回の映画を観てみると、また違った楽しみが見えてくるかもしれません。僕もこの記事を書きながら思い出したネタなので、そんな辺りに注目しながらもう一度観たいと思っています・笑