校了明けのマッスル鹿島紀行~天狗党の墓参り~

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DSCF1942.JPGオッス! マッスルだ!!

8月某日早朝、ニンドリ10月号の校了が無事終了!! 徹夜明けだが、今日は茨城県の鹿島スタジアムFC東京鹿島アントラーズの試合があるではないか! のんびり寝ているヒマはない。高速バスに乗って鹿島へGO!!

で、このバスに乗っていれば鹿島スタジアムへ行けるのだが、キックオフまでにはまだ時間がある。何を隠そう、ワシは知らない街をブラブラ歩くのが大好きだ。ここはあえて手前の水郷潮来で降り、ある場所に立ち寄りつつ、のんびり歩いて鹿島スタジアムへ行くことにしよう。

DSCF1943.JPG潮来市鹿嶋市をつなぐ新神宮橋を歩く。ワシ以外、歩いている人は誰ひとりいない。本当に車社会なんだな~。しかもこの橋めちゃくちゃ長い。歩いても歩いても対岸につかない、見渡す限り無人の歩道。実はタヌキに化かされていて、永遠に対岸につかなかったりして・・・。

 

 

 

 

DSCF1955.JPGワシが寄ろうと思っていたのは、鹿島市にある「天狗党の墓」。ワシは山田風太郎の大ファンなのだが、その作品の中で「魔群の通過」という、幕末の天狗党事件を題材にした時代小説があるのだ。

天狗党は尊王攘夷を掲げた水戸藩の過激派で、その本隊は一橋慶喜(のちの15代将軍ね)への直訴のため京へ向け進軍。結局敦賀で投降し、なんと352名が斬首されるという悲惨な結末を迎える。事件の規模の割にマイナーなのは、結局これが幕末の流れにほとんど影響を与えなかったからだろうか。水戸藩は天狗党をめぐる報復合戦で主だった人物が死に絶え、新政府にほとんど人材を送れなかったという。

 

DSCF1946.JPGその天狗党の墓が、鹿島神宮から歩いて20分ほどの墓地内にある。墓地といっても入り口も何もない、お墓が点在する山の斜面の一番奥で、夜に行くとかなり怖そう。

ちなみに天狗党の本隊は敦賀で全滅しているので、ここに葬られているのは大平組という別働隊。本隊が京都へ進軍する以前に、ここ鹿島で幕府軍に撃破されてしまったらしい。マイナーな天狗党の中でも、さらにマイナーな一派の足跡でした。

 

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